「アヒルと鴨のコインロッカー」/と意味の廃墟

アヒルと鴨のコインロッカー [DVD]仲正昌樹氏の『自由は定義できるか』という本を読みながらこの映画を思い出す。(昨日のエントリーの続き)。

ネタバレあり;
日本語が拙いブータン人の話し方を抜きにすれば、面白い映画。で、この映画は、復讐のお話なんだけど、一切が私的で(そこがものすごく印象的)、警察のような公的権力がちらついたりして主人公が葛藤するとかってのがゼロ。
「正しさ」とかいうもので葛藤しない(ように見える)主人公は(日本人ではない、という設定)で、人を殺したら輪廻転生出来ない、というブータンの神様の教えを信じている。この教えを信じているから、最後、ほろっとさせるんだけど、でも、つまり、彼は、なにか善きものを求めるとか、そゆう信仰ではなくて、(なにせ、葛藤がない以上)、考えなくてすむための信仰のように見える。いわゆる「意味の廃墟」ってやつデショウカ?
全てが私的であるような空間が広がっていて、「意味」なんぞ求めない主人公がいる。・・・というような物語をこの映画に読み込んでみました。