『あなたの苦手な彼女について』(橋本治)

あなたの苦手な彼女について (ちくま新書)
昔、『ぼくたちの近代史』を読んで、どうにも嫌な気分になって、確かに橋本氏の本は面白いんだけど、その女嫌いはご免被りたい、とおもい、どんなに面白そうで評判になった本でも彼の本は読まなかったのに、これに手を出してしまった・・。

この本でターゲットになっているのは、自活系、フェミ系の女性と、専業主婦(母親)である。
普通、男達は、どんなに、男のほうが女より優秀で、判断力もあって、女は子育てするし、それなのに経済的に自活できるようになりやがって、とおもっていても、「まあ、当然の権利を女は勝ち取ってきたってことでしょ」くらいのことをいうだろうに、橋本氏は、こう言うんだ。(まあ。面白いんだけどさ)。

「どうでもいい女(恋愛の対象外の女)」に対して、ある時期から、男は、寛容になり、「好きなようにすればぁ」といって決定権を渡してしまったんだと。

権利を主張する女ってのは、つまり、巷でよくいるうざったいクレーマーとおんあじでパターンであり、それは、家事が電化され、生活が豊かになり、家事労働が奪われ、主婦が暇になったからだという。

わたしはね、これは違うと思います。わたしは専業主婦も共稼ぎもやってきたけど、専業主婦にとっての家事労働ってのは、「家」のプロデュースに近い。だから、社会のその時々の空気に毒されるし扇動される。例えば、学歴信仰とか。別に、暇だから、子どもに集中するというより、プロデュースの一環であるといえるのではないかしらと。まあ、プロデュースの仕方は千差万別だから、暇になる主婦だっているだろうけど、プロデュースという側面から見れば、家事は決して暇にはならない、いくら電化されても。一人でいるときに身の回りを整える、ってのは家事じゃない。だから、暇になった専業主婦がクレーマーになったんじゃなくて、共稼ぎの主婦がクレーマーに(どっちかといえば)、なったんだよ。共稼ぎの主婦には、家をプロデュースする余裕なんてないから、身の回りの世話という雑用(と化す家事)に自分一人が追いかけられるのは、何故だ?って感覚が生まれるし、「働いてるのは貴男だけ?」と言いたくもなるのよ。
まあね、橋本氏はそこらへんも分かっていて、読み進めると、そうゆうことも書くには書いているのだけど、それならなんで、「暇な主婦がクレーマー化」なんて宣言するのよ?!ったくぅ・・。

あと、、なんだっけ・・もっすごくいっぱいあって忘れちゃったよ・・。
あ、そそ、「個別化」のはなし。自活してきた女達が個別化していて(男社会と宣言することによって)、「公」から逃げてるだろ、って話しは、なるほど、ごもっともなんだけど、まず、個があっての公でしょ、なんて口もきいてみたくなるけどさ、そうすんと、読み進めると、「全体主義」のことでてくるのさあ・・。あきれちゃう。ただ、今、個が利己的に上っ面にながれちゃうみたいなことってのは、おっしゃる通りだろうなと、頭が下がりますが。

あと、まだまだあったよなあ。そだ。別姓のはなし。馬鹿な女が何が古来「太陽であった母系」の継承だっ、とパブリックな素養を持たないことと結びつけて、あざ笑っておられます。わたしは、今の若い女性がどの様に考えているのかはわからないけど、昔、あたしは、結婚して旧姓を捨てるとき、悲しかった。なんていうか、これから、この人に従って生きてゆくんだな、と思ったときに、なんていうか、男の子みたいな元気溌剌とした小さな女の子を殺すんだな、みたいな、、、感じがあったわけで、今でも、旧姓の名前を呟くと、悔恨というか申し訳ないというかなんだか、悲しいってことはあるんだ・・。生意気なんですか?わたし。

「年寄りの話しと今の若い女性のはなしと混ぜないでよ!」とか、橋本氏に叫ばれそ・・・。(・・)

あと、男系、母系の話し。アダムからイブがとか、日本の古典の話し。
関係ないけど・・・生物学的には人類は母系でしかないそうですよ。男は様々な女の遺伝子をシャッフルするために様々な女のところに運ぶって役割しかなくて、その系譜といっても、運送屋の旗印のようなものでしかない、って福岡氏のご本にありました。