天皇制と聖性

ここを読んだ。*1

天皇家に男の子が生まれて皇室典範の改正が中止(延期?)になったとゆうニュースに、あたしはがっかり・・。
思うに、天皇制は(国家の成立から考えれば)、国家権力が人心掌握のために(国民が「法」にたいして権威や敬意を抱く)政治の道具としてある、とするなら、つまり、中世?とかの時代から、時の政府が天皇の前にひれ伏すことによって、天皇の代理として政府の命令はある、つう構図によって権力の補完をした、ってよく聞く話しのことですが。
ただ、「天皇制/ゼロ記号」のはなしです。先の大戦に国民がやすやすと動員されていったとか、ようするに国家情勢が不安定な時に天皇制がクローズアップされる(呼び出される)、のだとしたら、それこそ、そこでゼロ記号が(国家を構成するうえでの天皇制ではなく!)、機能して(悪用されて)しまうのじゃないか、なあ、とおもうわけです。つまりあたしは、それは、皇室が隠されているからだとおもっているわけです・・。
英国王室なみに人権とか、皇室離脱とか?、開放的な皇室とかにしてゆけば、それは時代にあった皇室のイメージでもある、とおもうし、ただ、そうすんと、「代理を生む天皇制」に問題が生じる、かってと、戦国時代じゃないんだし、皇室に神性があるなんて庶民はおもっていないし、ちがうんじゃないかっておもうわけで・・。どーなんかなあ・・。
すでに時代は(聞きかじりですけど)、「規律型社会」から「管理型社会」ってことへの移行期にあって、そゆうなかで人が社会化されてゆくときの問題とか、権力の仕組みとかが問題になるわけで、もう、皇室の人々を解放してあげてもいいじゃないか、っておもう。
たぶん、あたしは、別に天皇制でもかまわないなあ。雅子さんが生き生き出来る開かれた皇室ならね。(うん。あたしは天皇制をよく理解していないし、コロコロ変わるけど)。